ある患者さんのお話
私が僻地と言われる地域で診療していたときのことです。
その方は内科外来に、「ご飯が食べれなくて痩せてくるんです」と見た目はお若いですが、実年齢は比較的高齢な方が受診されました。少し天然な所があって、なんとなく憎めないキャラクターでした。
よくよく聞いてみると、食べ物が喉を通らない様でした。その時点で、「あ、これはやばいな」と直感が働き、ひとまずCT検査をしたところ、CTでも分かるような進行した食道癌がありました。しかも喉元すぐ近く。つまり、狭くなっているけどステントという拡張術ができない部位でした。
ご家族はいらっしゃらず、いつも知人と来院されていました。
その後の検査で飲み物はなんとか通過するということが分かり、栄養剤を続けながらその後の方針を決めていくことになりました。
経鼻カメラが通過できるうちに胃瘻を作らないといずれ何も喉を通らなくなります。
提案するも、胃瘻は作りませんと。
抗がん剤は受けません
治療的な選択肢が抗がん剤しかなく、提案してみたのですが、しばらく考えた後、
「抗がん剤は受けません」
とのお返事でした。
治療的選択肢がなく、緩和ケアを行う事となりました。
幸いにも痛みはありません。
この種の癌のやっかいな所は、患者さんの身体は比較的お元気なのに、食事が食べられないという事です。非常に残酷です。
天涯孤独
さらにこの方の場合、身内がいないのも大きな問題でした。
衰弱したときに誰が見るの?と中々に状況は複雑でした。
通常、そういった時は、利用できるのであればホスピス、無ければ慢性期病院での入院となるのが普通です。しかし、僻地では慢性期病院に空きが無く、途方に暮れる事があります。やむなく急性期病院で診るしかないということもあります。
宗教がつなぐコミュニティ
さて、この方が病院に来られる時には必ず知人が付き添って来院されていました。同じ方がいらっしゃる時もあれば初めてお会いする方もいました。
いったいどういう関係なのでしょうか。
実は、この患者様はある宗教を支持されている方でした。付き添って来院されていたのはその宗教での集会などで定期的に会っている同じ宗派の方だった様です。
長らく食事が食べらない状態が続き、徐々に衰弱してきました。入院するかどうか相談しましたが、本人からは予想外な返答がありました。
「自宅で最期まで過ごします」
身内がいないのに成り立つのかと思いましたが訪問看護を入れながら往診医にも協力を得て自宅での看取りを行うことになりました。
どうやら、毎日数人の方が本人宅に集まり、楽しくおしゃべりして過ごされていた様で、最期まで穏やかに過ごせたというお話を聞きました。
「毎日、日替わりで皆んな来てくれて一緒におしゃべりするのが本当に楽しくて、今の生きがいです」
なんて笑顔でおっしゃっていたのが印象的でした。
世の中には色々な宗教があって、中には批判されるものもありますが、最期の時に信じるものがある、心の拠り所になるものがあるっていうのは素敵な事だと思いました。